発行元:ライブドアパブリッシング
発行日:2005年11月03日
「敗軍の将兵を語らず」で、選挙戦自体について、私は多くを語る資格がない。
ただ、今回の結果は結果として厳粛に受け止めつつ、4年以内にいつか来る選挙で必ず再起することを期しているということを、ここで宣言したい。
そしてこの場では、私が今回の選挙戦を戦う中で見て、そして感じた、新潟5区と言う地方と日本の、現在と未来を記したい。
地方と改革
今回の総選挙で自民党は、新潟の6小選挙区のうち現職の2氏が議席を維持したに過ぎない(但し比例で他の2氏が復活)。
5区を含む新潟全県で、自民党への風は微風にとどまったといわれている。新潟は小泉改革に、Noとは言わないまでも、積極的なYesを言わなかった。
それは一見、新潟、そして地方が改革に消極的であったかのように見える。
しかし、私はそうではなかったと思う。
今回の選挙を通じて実感した事は、例えば長年地方で農業に従事されてこられた方々や、建設業に携わる方々といった、一般的には保守的と考えられている方々を含めて、この地方に住む非常に多くの人が、実は改革の必要性を認識し、かつその痛みを受け入れる気持ちが強いことだった。
集会や街頭演説会で出会った方々の中で、無条件で現状維持を主張する方は皆無であったといって良い。
それが何故、地方で、この新潟5区で、改革への風を作れなかったのか。
私はそれは、未来像の欠如にあったと思う。改革の必要性は分かる、痛みを分かつ覚悟もある、だがその結果訪れる未来が分からない。
それが今回の総選挙で、地方を立ちすくませた最大の理由だっただろうと私は思う。
過去への郷愁
日本の改革の必要性は、頭で考えて分かるという以上に、肌で感じられることだと思う。インターネットの出現と経済のグローバル化で我々の生活は一変した。
インターネットによって情報は、かつての官から民、企業から個人と言う一方向の流れから、文字通り蜘蛛の巣のように張り巡らされた多方向の流れに変わった。
街には中国をはじめとする外国製品があふれ、国際的な競争を無視した国内制度は意味を持たなくなっている。
その変化に、政治を含めた公共部門の制度がついていっていない。
巨額の財政赤字の縮小とその為の行財政改革が現在の日本政治の最大の課題であることは勿論論を待たない。
だがたとえこの赤字がなかったとしても、社会経済分野におけるプレーヤーとしての政府の役割は最大限民間に移さざるを得ない。
公的部門は、原則上最短でも一年かけて予算と法律を変更しなければその行動様式を変えられない。
其れではこの移り変わりの速い社会の中で、価値あるプレーヤーとして生き残ることは難しい。
日本に今求められている改革は、公的部門が、プレーヤーの役割を民間に譲って、自らは審判者若しくは民間が力を発揮する為の制度設計者としての大きく生まれ変わることだと思う。その意味で、郵政民営化は極めて正しい選択であったと私は思う。
この改革の未来像は、中央、なかんずく東京では、比較的分かり易い。
東京には、傑出した力を持つ民間が、時代の変化に即応して成功した例がいくらでもある。
ライブドアの堀江氏、楽天の三木谷氏がすぐ近くに住んでいる。
日本放送株買収の例をはじめとして、公的部門が民間の後を追っている例は枚挙に暇がない。
東京では改革の未来像は、今そこに現実としてある。 だが、地方ではそうではない。
地方にも素晴らしい企業はたくさんあるが、東京に於ける様な劇的な成功例はそう多くはない。
地方経済において公的部門が占める割合は、東京の2倍近い。
公的部門縮小の影響は比較にならないほど大きい。
改革の必要性は分かる、痛みを負担する覚悟もある、だが、その後に来る未来像を実感できない。
地方はいま、改革の出口を必死で模索している。
未来への一歩
そしてそれは必ず出来ると思っている。日本人は、極めて優秀で、柔軟性に富んでいる。
中央は中央の、地方は地方の豊かさを存分に享受できて、住民の誰もが主体となって自由に社会活動や経済活動に参加できて、そして誰もが安心して医療や老後の福祉を受けられ、次代を担う子供達に優れた教育を与えることが出来る、そんな社会を作ることは、有権者とそして政治家が、過去への郷愁に基づく現状維持から脱却して真摯に回答を探し続ければ、必ず可能だと、私は思う。
そして実現の道筋は、いつか実現する理想の政権によって全ての問題が一気に解決する事を待つ事ではなく、現在の政治状況の中で、一つでも二つでも、やるべきことを着実になしていく事によってつけられるべきだと、私は信じている。
個別の政策としてやるべきことはいくらでもある。
郵政民営化を手始めとする行財政改革で公的部門の無駄を省く作業は敢然と進められなければならない。
その過程で公務員の人件費の削減は、避けて通れない。
削減された財源の中で各地方に適した政策を実施する為には、三位一体改革による財源と権限の地方への委譲が不可欠だろう。
公共事業は、地震からの復興から新しい観光のあり方まで含んだ全体的な街づくりを考えて、再構築されなければならないだろう。
公的部門縮小のなかで地方の、そして日本の経済を自立させる為の産業政策は、大企業向けの施策のみならず、地場産業、中小企業への支援策から、新技術を生かした企業の育成にまでいたるべきだろう。
農業の振興策には、新潟の地域経済問題としてだけでなく、10年以内におそらくは訪れる国際穀物市場の逼迫をにらんだ対策が必要だろう。
外交上の諸問題の解決も、拉致問題や貿易上の問題を挙げるまでもなく国民の安全と豊かさの実現に不可欠だろう。
そしてそういった改革の中でも、いやむしろ改革を進める為にも、年金や医療そして雇用対策といった福祉による安心は確実に確保されなければならない。
そして何より、次の世代を担う為の教育の充実や少子化対策には、全力で取り組まなければならない。
だが今ここで私が如何に言葉を尽くして「豊かで、自由で、安心して暮らせる社会」といった全体像を語っても、また個別の政策論語っても、確かな未来像として信頼してもらうには十分でないように思われる。
未来は未来であり、どれほどばら色の未来を描いてみても、どのように詳細な政策を提示してみても、実現するまでは分からないままだからである。
未来像への信頼は、結局のところ、それを実現しようとする人間への信頼であると私は思う。新潟5区が生んだ偉大な政治家に5区の方々が託した信頼は、氏の提示した未来像それ自体に対するもの以上に、氏であれば、きっと自分達の声を聞いてくれる、そしてそれを生かして間違いなく新しい未来を作ってくれるという、氏個人への信頼であったと思う。
今の私に、まだそれはない。
私は、これからの4年間、多くの人の声を聞いて、多くのことを学んで、私がこの新潟5区、そして日本に、「豊かで、自由で、安心して暮らせる社会」作って行こうとしていること、それが可能であることを、出来るだけ多くの人に訴えて行きたいと思っている。
それがいつか信頼となり、未来への確信となって、明日への一歩を踏み出す新たな力を与えてくれることを信じて。